〒963-6311 福島県石川郡玉川村大字岩法寺149

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年中無休 7:00~20:00
(7:00-18:00は田んぼに出かけているかも?)

またか・・・余震

2022,04,20 17:39

 3月16日深夜に福島・宮城両県で震度6強の地震がありました。

 昨年2月に続き今回もまた3.11東日本大震災の余震とのことです。

 朝方になって被災状況が明らかになっていくのですが、新幹線脱線事故や東北高速自動車道上下線通行止めには正直驚きました。

 救われたのは当家族も含め、県全体で人命にかかわる事故が少なかったことが挙げられます。 16日以降も小さな余震が毎日続いており本当に落ち着きません。

南海トラフ.jpg

 武蔵野学院大教授の島村英紀氏(地震学)弁ですと

「東北地方太平洋地震のひずみは解消されていない、よっ
てこれ
からも余震は100年以上続くであろう」と恐ろしいことを述べておられます。
 このところの異常気象・天候不順は深く懸念しており、この先の営農に強い不安を抱いております。
 人口の少ない東北だからこの程度。これが大都市圏で起これば大疎開は避けられないと想像いたします。
 お客様各位におかれましては是非とも下記ユーチューブを閲覧し
てほしいと思います。小生
も真剣に拝見い
たしました。

【NHKスペシャル】もしも南海トラフ巨大地震が発生したら?シミュレーションCGとドラマで解説|MEGAQUAKE|NHK

あ〜地震は痛い!

色彩選別機倒伏

農機具横転

内壁崩壊

外壁崩壊

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2021年2月15日 16:45

 2月13日 24;08 布団の中で熟睡中の地震。久しぶりに大きいのが来ましたので3,11東日本大震災が脳裏をかすめました。起きて各室内を見渡し、そして庭の様子(瓦落下など)を確認。さほどの影響がみられませんでしたので・・・また布団の中へ。

 翌朝、近所のご主人から電話が入りまして「散歩中なのだが作業倉庫の窓が数か所開いており、農機具が横転している」とのこと。

早速直行、農機具などが転がっていることには驚きませんでしたが、中に入ってみて愕然としました。

 色彩選別前の積み上げた米俵がメチャメチャに崩れ落ちてお米が散乱しています。播種機や計量器も横倒し、一番悲しかったのが購入してまだ数年の色彩選別機が倒伏していることでした。

 すぐさま、息子達に電話。呼び寄せて農機具類を立て起こしましたが損傷がひどく稼働出来る状態にはありません。真っ先に脳裏に浮かんだのは「保険未加入の修理費用」です。まだ色選作業が完了していませんのでお客様に迷惑を掛けてしまいます。

 虚脱感の中、二階に上がってさらに脱力。内壁(不燃性石膏ボード)が8割方崩れ落ちていました(ちなみに1階外壁はブロック積み上げ)。10年前の大震災で大きなダメージを受けていましたので十分考えられることですが・・・当時作った大工さんはなぜこの重い材料を選定したのか?恨みが湧いてきます。

 窓が開いていたのは激しく揺られてサッシのストーパーが粉砕していたからです。屋根瓦が散乱し、外壁トタンの留め具(釘・ネジ)が飛び散りメクレあがっています。

 息子達と壁材の撤去作業や掃除に終日対応、本日が大雨予想でしたので取り急ぎ外周トタン張りを優先しました。

 お米販売は利益がありません。これからの「余計な支出」を考えますと本当に痛く、元気も無くなりますが、「水害よりはまだ救わる!」と自分に言い聞かせているところです。

新たな風評となるのか?

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2020,07,06 18:02

 福島第一原発は3.11津波で水素爆発が起こり原子炉内の燃料が溶け落ちました。

この燃料デブリには9年を経過した今でも水を掛けて冷却状態を続けています。

 その汚染水は多核種除去施設で浄化され、62種の放射性物質を基準値以内に浄化しています。その浄化した後の水を「処理水」と呼ぶそうです。

 その処理水はタンクで保管されていますが2年後には飽和状態になることで、その処分方法の決定が今、急務と問題となっています。

 なぜ問題になるのか?それは水と性質が似ている「トリチウム」を除去するのが難しいからだそうです。トリチウムが出す放射性エネルギーは非常に弱く政府見識者も「低コストの海洋放出問題無し」との見解です。

 県内漁業者も海洋放出にはある程度理解を示している様ですが、最大の問題は「風評被害」にあります。

原発事故から10年、県産食材は科学的データを示しても風評に苦しめられてきた経緯があります。よって決定を急がずに国民的議論を深めて安全を周知してもらいたいものです。

福島第2原発廃炉-正式決定

2019,08,01 14:10 

 7月31日地方紙に「東京電力取締役会で福島第2原発4基の廃炉が正式決定」とのニュースが載りました。

 ちなみに福島第1原発は津波被害で炉心溶融事故を起こし廃炉がすでに決定しています。

第1原発6基と今回の第2原発4基、併せて10基すべての廃炉が決定したことになります。

 事故を起こした第1原発はまだしも、東日本大震災から停止していた第2原発ですから廃炉決定まで8年以上要したことになります。廃炉の結論が出るまで8年もかかったということは再稼働も十分検討されたということでしょう。そして、余計な勘繰りですが「どうしてこの時期に廃炉発表なのか?」。

 いま、地元の関心事は「使用済核燃料の取り扱い」と「原発交付金継続」にあるようです。

●原発立地自治体は「使用済核燃料」の一次保管を受け入れましたが、最終的な保管場所の決定は極めて困難な状況であります。誰かが言いました「国内は無理、海外も無理、では月に持っていくしか無いでしょう」。

●また、立地自治体として交付されてきた10億円/年が無くなれば財政的に立ち行かなくとの報道です。

 いずれにしても福島県には、特に立地自治体4町村にはあまりにも大きな課題が残されたのです。

 今の日本人が電気の無い生活に戻るなど出来るはずもありません、7割を占める火力発電方式はコストも大きく、そして地球温暖化を手助けしている状態。また国土からみて水力発電方式の復活も難しい?では風力発電や太陽光発電の今後の見通しはどうなのだろう。素人には誠に難しい問題です。

 この様な当たり障りも無い生ぬるいコメントで情けないですが・・・小生も直接の当事者では無く、県人とはいえ傍観者に近いのでこれ以上は控えます。

 今は個人として無力さを痛感していますが、「ふくしま」に住んでいたからこそ「動力源の重要性」を身を持って体験出来たのかな?・・・なんとも不思議で複雑な心境です。

2019年元朝参り

2019、01,01 16:08

 【新年おめでとうございます。白華山巌峯寺の里より新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます】

  恒例の「元朝参り」に行ってきました。ただ例年と違うところは始めて家族と巡ったことです。

「餅」「新米」「賽銭」「古いお守りとお札」を持参し部落内にある神社・社寺・氏神様・鎮守様など8か所で祈願してきました。

祈願する内容は欲張りで「家内安全」「無病息災」「健康長寿」「豊年満作」「業務繁盛」「交通安全」などなど・・・虫の良い話ですが、箇所毎たった15円(いいごえん)で山盛りお願いするのです。

今年は特に「本厄」を迎えますので「厄年間の平穏無事」も追加でお願いしてきました。

 巡る順番は亡き父に言われた通り下記の如く・・・

①内神様 → 白山様 → ③吉田開洗先生碑 → ④日蓮宗念仏碑 → ⑤湯神様 → ⑥日蓮宗供養碑 → ⑦祇園八幡神社 → ⑧白華山巌峯寺奥の院

我が長男にも「家伝」を伝授。付いていけないほど変化の速い世の中ですが、「元旦」くらいの一日は「古いシキタリ」を大切にしても良いのではないでしょうか。

激減!稲作農家

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201805,31 14:02

 ただいま降雨真っ只中。田植え後の休日と捉えてホームページを更新しています。テンションが下がると考えることも暗くなります。

 現在、日本人は1億2700万人。82年後2100年には5,300万人。さらに200年後は10分の一の1,391万人。300年後は423万人で約30分の一になると言われています。

 振り返ってみればもう何年も結婚式には呼ばれていません。地域を見渡しても子供の数が激減しています。十分納得できる数字です。

 中小企業の後継者不足が深刻だそうで膨大な雇用と国内総生産が失われるとラジオで聞きました。しかし農業の後継者不足とは少し違うな?とも思いました。

 農家の数は138万戸→10年後72万戸→20年後40万戸と予想されています。農家の7割を占める稲作農家の減り方はもっと深刻だそうです。

現在、稲作農家は95万戸、わずか7年後には38万戸、30年後には10万戸なるようで、日本人口の減り方よりも農家の減り方、さらには稲作農家の減り方が大きくなると農水省は予想しています。

 7年後と言いますと我々の先輩方、いわゆる団塊の世代が就業出来なくなる時期です。ですから小生は先ほどの38万戸にはカウントされているかも?しれません。

 この地域でも空き家が増えています。地域で会合がありますと「俺んちは無くなるな!」「残るのはあの家とあそこの家!」とか寂しい話が良く出てきます。

 日本の人口減少は大きな危機!しかし止める手立てが見つからない今、先を憂いてもせん無い事です。この先大きなチャンスが見えるのですが小生の息子は農業をやるのでしょうか?

北のミサイル発射

2017,08,30 12:02

 昨日、午前5時58分北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、北海道襟裳岬東1180km付近に落下したとのこと。

 当村には「防災無線」が各戸設置されていますが、流される情報と言えばいままでは「火災情報」程度で静かな村でした。ここ近年は「オレオレ詐欺」や「農機具盗難」といった物騒な情報も流されましたが・・・。

 それが今回は「事前通告無しでのミサイル発射情報」ということで「防災無線」の有難さを感じたところです

 東日本大震災の反省から緊急避難ということも考えられますので布団から這い出て一応、人と会っても笑われないような身支度はしました「はて、小生は何をすればいいのか?」。

 金正恩体制になって80回越えのミサイル。その父や祖父の時代にはそれぞれ「16回」「15回」でしたので5倍以上のペース、その過激さは全くの異状です。これからも日本の上空通過が続きそう。

「夜郎自大」この男の為にあることわざだと思います。陸地に打てば自国が影形も無くなることぐらいは理解しているのでしょうが、追いつめられる国民はタマッタものではありません。

 しかし、よく考えてみれば自給率39%の日本に落とされた場合、食料流通がマヒするのは必至。いや日本への輸出国に落とされても同じか?

東日本大震災から6年目

2017,3,11 9:03

 早いもので【東日本大震災】発災から6年目となります。

当時、JA白河中島支所で玄米の色彩選別作業をしていました。後で知るのですが、その揺れは3分以上続いたそうです。鉄骨造建物から表に逃げると近隣木造民家屋根からのおびただしい瓦の落下を目の当たりにしました。

そこで「ただの地震では無い」ことを悟るのです。帰宅時の舗装道路は縦に裂けるやら陥没してるやらで、どうにか迂回しながら自宅に戻りました。

その距離たった15kmですが家族の安否・自宅の損壊など考えあぐね非常に遠く感じたものです。いまでも記憶は鮮明、人は命に迫る危険を感じたことはいつまでも覚えているのでしょう。

 その後、徐々に被災全貌がマスコミで取り上げられ、小生が受けた被災などかわいいものと知らされます。沿岸部では多数の溺死者が出ていたのです。いまでも行方不明の方が・・・。そして当該地域からは「地震・津波による損壊」「原発事故による避難指示」により着の身着のままでの大移動(避難)が始まっていたのです。

【私にも何かできないか?】

 当時、我が石川郡内ではお隣の平田村がいち早く避難者を受け入れていました。「そこにお米を送ろう」と考えたわけですが相手は丁寧に断りを入れてきました。「玉川村での受入れ者へ」という返事。

受け入れに消極的だった当村への嫌味でしょうか?はたまたすぐ調理できる白米仕立てが希望だったのか?

ただ、内陸部といえども被災後の諸問題を抱えている中、早急に受け入れた平田村の寛容さには驚いた次第です。

 さて、6年の時を経た今でも約80,000人が県内外で避難生活を強いられています。転居回数も5・6回は良いほうで10回以上の方々も相当数。避難指示解除と言われてもふくしま県の人口流出は避けらそうもありません。

避難した方々の苦しみを知る由もありませんが精神的な苦痛、しまいどころのない涙、そして肩身の狭さ、プライバシー無き生活は生き地獄であったあろうと想像がつきます。

その中で一番心配したのは感受性の強い子供たちのこと。避難先では部屋も無く勉強どころではなかったでしょう。まして見ず知らずの土地での学校生活はいかばかりか?と考えます。

 ここにきて、原発事故で避難した子供達へのいじめが相次いでいることに心が痛みます。6年もの時間が経っているのですから長い期間耐えていたことが伺えます。その上に耳を疑う金銭恐喝もあり怒りが込み上げてきます。

小・中学生に賠償金など知る由もなく大人の責任も見過ごすわけにはいきません。これも氷山の一角なのでしょうが好きで転居している訳ではないのですから暖かく見守ってほしいものです。同じ日本人なのですから。

叔母の3連覇達成

2016,08,24 19:18 

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H28地区盆踊り大会

仮装踊り3連覇

  毎度、暗いニュースで恐縮ですが福島県の人口は本年10月で190万人割れとなりそうです。

福島県中通りは交通の便が良く会津地方やいわき地方と比較すると企業立地もあって職場には恵まれています。と言いながらも、そこに位置する我が玉川村も御多分に漏れずじわりじわりと過疎化が進んでおります。

■そのような中、今季も「巌峯寺地区H28年度豊年盆踊り大会」が催されました。

巌峯寺集落の青年団員は2名。その内の1人が長男です。

【集落伝統行事の保存・伝承】と一口に言いますが2人でよくやったものです。親の心境とすれば心配するものですが地域の先輩や他集落の仲間達を集めて実行したようです。今年は踊り手が多く40人は超えていたような・・・

■そこに踊り好きな叔母がここ数年参加しています。郡山市に嫁いだのですがお盆には毎年親の墓参りに当FARMに来てくれます。盆踊りの夜は仮装して繰り出しますが過去5年間で3年連続で一等賞を確保。

今では名物叔母さんとなっています(右フォト)。年齢は78歳ですから2時間も踊りまわる足腰には驚嘆いたします。

「来年は難しいかも?」そんなことを言わずに4連覇目指して頑張ってください。

映画「フラガール」

映画フラガール.jpg

2016,02,28 17:52

 昨夜、「映画フラガール」をユーチューブで見ました。実はこの映画は9年前の9月下旬の全国公開時に郡山映画館で見ていました。よって懐かしく当時がよみがえってきます。

 公開初日、郡山に李 相日監督並びに数名のガールズ達が挨拶に来らていましたので記憶は鮮明です。「母ちゃん」役の池津祥子氏も来られていました。

脇役の池津さんが挨拶をされた際に「かあちゃん」と大声で叫べば・・・館中がどっと湧いて応援になると一瞬思いました。しかし当時、座っていた席がステージから一番遠い最後列、かつ目が悪く池津さんと明確に自信が持てなかったこともあって躊躇してしまいました。「もし間違っていたら・・・」と廻りの目も気になり言えなかったことは後悔の念として今も残っています。気が小さかったのです。

 しつこいですが本当に喉元まで出ていたのです。今日知ったことですが池津祥子氏は郡山出身の女優だということ。福島県出身と判っていたなら・・・「まして地元での晴れ舞台」・・・なおさら後悔しています。

 舞台は昭和40年代のいわき市湯本、かつて炭鉱があった小さな町の物語。石炭から石油へとエネルギー革命が行われる中、各地で炭鉱の閉山が相次ぎます。その危機を救おうと会社が構想した「一大プロジェクト」。東北片田舎に「ハワイ」を作ると実話です。

 関東以南ではなく東北に作るという構想。昭和40年当時、温泉が湧き出ていたとはいえ誰も考えはしないでしょう。

岸部一徳氏が演じた吉本部長の苦悩とはどの様なものっだたのでしょう。昭和の時代、東北の地で「フラダンス!?」当然、否定的な意見・反対も多かったことでしょう。

 昨年(2014年)の年間入場者は150万7000人ということですのでこの構想は見事に成功したわけです。この施設内で働く人々及び取引関係者などの生まれた雇用は知りませんが、映画内で鉱山採掘最盛期4,000人ということですので会社としての目的(新事業展開)は果たせたのではないでしょうか。いやマクロ的にみれば福島県にとっても大きな間接的メリットを得ています。

 その後3.11東日本大震災により建物が被災、全館休館となりますが再オープンに向けて50年振りにフラガールズ達の全国キャラバンが行われたようです。この「めぐり合わせ」に当時のフラガール関係者はどの様な思いを持っているのでしょうか?

しかし、9年前の映画では気付きませんでしたが女優達のダンスは本当に見事でした。どのくらい特訓をすればあの様に踊れるのでしょうか?

ラストシーンは大成功に終わり「めでたし!めでたし!おめでとう!」と心の中で拍手を送りましたが、あの完成されたフラダンスには「女優魂」を見せつけられたようで恐しさまで感じた次第です。

熊谷育美ライブイン国分町

2015,11,26 21:04

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DARWIN

熊谷育美氏

myエレキギター

myフォークギター

 昨日(11月25日)仙台国分町のライブハウス【DARWIN】にて熊谷育美女史のライブを見てきました。

小生はあまり乗り気ではなかったのですが、友人がかなり惚れ込んでおり「是非、一度生(ナマ)で見たい!」ということで仙台市国分町まで行ってきました。当然チケット代は彼持ち、実のところ小生もライブは嫌いではありません。

玉川村から高速道路を使用して約2時間30分、帰り道は雪が降ってきて、さらに積もりはじめており結構怖いものがありました。自宅に着いたのが深夜0時。

 宮城気仙沼在住のシンガーソングライターで以前からNHKラジオなどでその存在は知っていましたが、東北の片田舎にこのような【歌い手】が居ることには驚きました。それよりも田舎に生まれて「あのセンスを身に付ける」ことが驚きです。どのような環境で育ったのか非常に興味があります。

 大都市圏では無く気仙沼から発信していること、そしてその存在で大震災後遺症で苦しんでいる方々に「音楽を通して」大きな勇気を与えていることは心打たれます。

 小生も遠い昔、ギターの魅力に引き込まれた時代がありました。それは14歳から25歳くらいだと思います。誰かのコピーをしているうちはまだ良かったのですがオリジナル曲を始める頃になると「音楽」では無く「苦痛」と感じてきました。当時、あるコンテストで決勝まで残りTV主演までしたことがありました。でもそれは喜びや嬉しさでは無く、重く重くどうしようもない苦しみに感じていました。

 自分のセンスの無さやバンド仲間の冷たい視線・・・。「音楽」ではなく「音我苦」と思っていました。悩めば悩むほど、練習すればするほど深みにハマっていき良いフレーズが出てこないのです。プロをみていますと「もうこの間奏しか無い!」というほどピッタリハマる演奏をしてきます。努力とかテクニック云々は二の次なのです。楽器を通してどのように音を表現するか?いわゆるセンスなのです。

 たまにラジオ・テレビなどから素晴らしいギターフレーズが流れてくると血が騒ぎ興奮しますが、昔の様に「ギターを弾いてみよう」という気にはなれません。右側2点のフォトは今も保有しているエレキギターとフォークギターです。息子がたまに弾いているようですので長い間眠っていたギターも救われると思います。

三陸復興視察の旅

2015,05,07 22:29

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奇跡の一本松

三陸鉄道

民宿前川殿

復興事業

 ■G・Wである5月5日より6日にかけ一泊にて岩手県南三陸地方を訪ねてきました。

東日本大震災時、津波による人的被害は福島県よりお隣の宮城県・岩手県の方がはるかに大きなものであったことは知っていました。そしてその後「あまちゃんブーム」もあり以前よりこの三陸地方が気になっていました。

 今回、友人3人で一ノ関から陸前高田市・大船戸市・釜石市などの被害の大きかった沿岸部を巡り、その復興状況をこの目で視察してきました。

 人的被害者数の圧倒的に多かった町は宮城県石巻市です。しかしながら人口比率で見た時の「大槌町」「陸前高田市」など岩手県沿岸部三陸市町の被害はその数倍とのことだそうです。

■「奇跡の一本松」や「三陸鉄道南リアス線」などに接して、心の痛む思いでした。 復興に向けてビックリするほど大がかりな工事が行われていたことが今も深く印象に残っております。

■5月5日の夜は釜石市鵜住居町の【民宿前川殿】に泊まらせて戴きました。 旧施設は集落共に津浪で流され、大槌湾が一望できる高台に昨年新築されたとのお話を女将さんから伺いました。

■愛嬌たっぷりの女将さんでしたが話しているうちに「長女を津波で亡くされた」というお話を聞いてからは目を見て話せませんでした。 【釜石市の復興はまだ2割程度だと思います】旦那様が目を細めて話しておられました。

■その夜の「夕げ」には一同ビックリ。宿泊料金に似合わぬ料理が次々と運び込まれます。新鮮な「カツオのたたき」から始まり「ホタテの刺身」「真マスの焼物」「初摘みワカメ」「春野菜のてんぷら」などなど・・・etc。その後まだまだと言わんばかりに「巨大な網焼きホタテ」ダメ出しで「殻付きウニ」など・・・ただただ恐縮の一言。

 「残しては失礼!」と一生懸命に食べ尽くしました。そのためお酒を思う存分飲めなかったのは心残り。

■翌日、釜石駅前からレンタカーを借りて「鉄の記念館」や「遠野ふるさと村」などのんびりと巡ってきました。

岩手県沿岸地方の復興促進と三陸にお住いの皆々様のご多幸を陰ながら祈らずにはおられません。

■過去ブログに興味のある方はこのページのトップに戻り右上数字をクリック願います。

パソコンに異変!更新できません。

2015,04,02 

 3月中旬ごろよりパソコンの調子が悪く、ホームページを更新できません。

焦りますが、春先の農作業が忙しく電気屋さんに行く時間を見出せません。

ご迷惑及びにご心配をお掛け致しております。

今しばらくのご猶予を戴きたく存じます。

伝統の白河だるま市

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2015年2月14日

 2月11日(水)の「白河だるま市」に来てみねが?」友人より誘いが入りました。
水曜日は冬季アルバイトが休みの日ですので馬鹿にしつつも親友と出向いてみました。「反省です」軽く視ていた自分を恥ずかしく思いました。

白河市内の目抜き通り1,5kmに700店舗の屋台が立ち並び、身体を横にしないと歩けません。
小生、これほどの屋台を見るのは始めてで、会場の熱気にはビックリ致しました。
翌日の新聞によると「2月時期の晴天は珍しく、16万人が集まった」ということです。

 小さい頃、今は亡き父に連れてきてもらったという記憶が蘇ります。いまから40年も前の話です。

その頃、娯楽というものが無かったのかもしれません。父は、わざわざ白河まで出向き、毎年縁起だるま購入し、そして神棚に供えていました。
月こそ違いますが11日は「震災命日」で、はや3年と11か月を迎えました。
白河市あげての「伝統だるま市」に白河市民の復興魂を見たような気がしました。

その後、食事と称し酒を酌み交わしながら白河市内に7時間も居座りました。
でも、何となく白河市に親近感を覚えたことも事実、今後白河市に関するニュースには真剣に聞き耳を立てそうな自分が居ます。 

原発避難者自殺訴訟について

2014年8月29日 23:27 

東日本大震災発生以降、震災関連自殺者数が130人を超えました。なかでも原発事故を抱えた福島県は年々増え続けています(56人)。

十分考えられたことですが、小生が当時思った通りに増え続けていることに「内心ゾッと」しています。

 先日、川俣町山木屋地区の主婦の自殺をめぐり、東電に賠償を命ずる判決が福島地裁にて言い渡されました。

【自殺と原発事故は因果関係がある】

東電の賠償責任について踏み込んだ判断を示した福島地裁の判決!これは画期的な先例になると思います。

それは原発事故にまつわる東電の責任や過失を問う裁判が山ほどあるからです。

この遺族(特にご主人)の強い信念には敬意を表したい。2人のご子息なども職場では「かなりつらい思い」をしたとのことをお聞きします(現在は退社)。長い孤立と闘った【遺族の勝利】に乾杯です。

【東京電力は控訴をせず、これ以上避難者を苦しませないでほしい】 避難者ではない私の望みです。

東日本大震災 発災3周年

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2014年3月10日 21:49 

 明日(3月11日)、【東日本大震災】発災から3周年を迎えます。
それは海岸及び福島第一原発から60kmも離れて被害が少なかった小生にとって、今となっては短い期間に感じられます。しかしながら発災により何もかも失った方々にとっての3年間はどのようなものだったのでしょう。
我が家は、ふくしま県中通りに位置し物的被害や精神的被害は大きいものではなかったと思います。
それでも、築100年目の土蔵は地盤沈下で傾き、昨年4月に取り壊しました(解体費用;300,000円。両親が住んでいる「隠居」と農作業所の棟瓦が落下、この修理に約200,000円、母屋の床が陥没、この修理費用に約400,000円、墓地修理に約100,000円、合計約100万円以上の支出が発生致しました。
そのほかまだまだありますが、自宅廻りの塀などの修理は出来そうにありません。贅沢は後回しです。
でも、浜通り8市町村の家族を失う、家屋を失う、仕事を失う、何もかも失った方々と比べたらまだまだ平穏だと思います。

癒されることが無い悲しみ、やり場の見つからない怒り、絶えることが無い不安、どのような思いで暮されていることか?

■当時のこのようなことが思い出されます。
 震災から数日後「隣村の平田村が浜通りからの避難者を受け入れている」との情報をラジオから得ました。
我が玉川村は避難者受け入れに慎重でありましたがお隣の平田村のスピード感には感心感銘してしまいました。
当時、90袋ほどお米在庫がありましたので。平田村役場にお米の提供を申し出ました。
担当者は「上司に相談します」としましたが、その後、平田村役場より辞退の電話がありました。
結局は小生米はお役にたて無かったのでした。

 あれから3年経ったのです。震災前に13,000円/30kgで販売していました【農薬・化学合成肥料不使用コシヒカリ】。そのお米も今では9,600円!今思えば多くのお客様が去っていきました。
昨今の農業情勢からみても回復は無理だと思っています。今後は品質を落とさずのコスト削減米作りを模索していきます。
それしか生きる道は無いと考えております。また戻ってきてくれることを祈念しながら今年の春も「特別栽培米」及び「有機栽培米」を作付けするのです。
頑張らなきゃ!浜通りの人々を思うと、住むところがあって耕す田畑があるのですから!まだまだ救われているのですから・・・。

ふくしまオーガニックフェスタ2013

2013年11月23日(土) 19:06

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郡山ビックパレットにて

ブース風景

 本日、友人と郡山市ビックパレットで開催された【ふくしまオーガニックフェスタ2013】に行ってきました。

イベントでは放射能と暮らしを考えるシンポジウムのほか、有機農産物の販売、本県の食材を使った料理の提供などがありました。

このイベントの開催はNPO民間稲作研究所代表の稲葉先生より、事前通知をもらったことで知っていました。ほんの少し期待はしていましたが、まさかこの場所にあの忙しい稲葉先生が来られているとはビックリ。私は教え子ですから当然のことご挨拶をさせていただきました。ご健勝で日本中を駆け巡っているお姿に活力をもらいました。

福島県を代表する有機農業実践者の「中村和夫氏」「長谷川浩氏」また、秀明自然農法ネットワークの小豆畑氏などとも会話する機会を得ることが出来ました。

お米農家中村和夫氏の弁;「震災・原発事故の年は半分のお客様が去っていきました。今は耐える時です。少しづつだがいろいろな方の紹介でどうにかさばけています。やはり人脈は大切だと思いました・・・」

自宅に帰ってきたいまでも中村氏の言葉が残っています。自らを顧みて「このまま一匹狼でいいのだろうか?」

父の新盆供養と盆踊り大会

2013年8月16日 18:02

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 父の新盆供養を8月13日に行いました。当部落においての一大イベントで、葬式より大変な儀式です。葬式は葬祭場を借りて近所の方々や業者スタッフ等のお手伝い・応援を受けることが出来ます。しかし、この新盆供養は自宅で身内で切り盛り致します。

集計したら焼香客が160名。 本当に恐ろしい「しきたり」が残っているのです。

そして今後、当部落でどのようにこの儀式を簡素化していくか?が毎年、あちらこちらでお盆の話題となるのです。

ちなみにお袋は儀式の後、寝込んでしまいました・・・・。

★盆踊り大会で上位独占!

 翌14日は当部落の恒例盆踊り大会が実施されます。少なくなった地元の青年団がこの伝統行事を引き継いでくれています。他の部落ではもう見ることが出来なくなっている様です。

新盆供養で里帰りしていた叔母連中(父の妹)が、この懸賞付き盆踊り大会にすごい仮装をして繰り出していきます。いまどき踊り手など少ない時代ですので毎年、「仮装して踊ると上位入賞が十分可能・・・」とのこと。

しかしながら、今年は1位・2位を独占して帰ってきました。

帰宅後の話が弾むこと!弾むこと! 

小生は会場には行きませんでしたが、話を聞いていると「入賞を逃し、地団駄踏んで帰っていく踊り子」が目に浮かぶ様でした。

先ほど「送り火」を焚いて自宅に戻った父を見送りましたが、思い出多き「父の新盆供養」となりました。

2013年2月10日 AM10:30

 1月29日朝から東日本大震災で大きく被災した土蔵の解体工事が始まりました(初日は屋根瓦撤去工事)。

解体を地元の業者に依頼してから約1年後の着工となります。それは玉川村が2月末日を以って「廃棄無料の瓦礫捨て場」を打ち切り撤去する方針を出しました。その情報を業者が知り解体着工に至ったと考えられます。

それは良いとして、その夜午後11時10分に父が病院で息を引き取りました。申し合わせた様に・・・築丁度100年目の土蔵と昭和10年生まれ77歳の父を同時に亡くすことになってしまいました。

土蔵解体の前の【お祓い】などはしておりません。言い訳になりますが、前日突然の業者社長の解体着工宣言!夜は病院で父の看病、昼は仕事(日雇いパート)でそれどころではありませんでした。いや全く【お祓い】など頭に無かったというところが事実。

吉田家の良き一時代の繁栄が崩れていく様な思いにとらわれて、実際のところ大きく落ち込んでいる自分がいるのです。 ・・・解体工事再開は49日法要の後にしましょう。

2013,01,09 17:39                   フォトはクリックで拡大 →

 昨日の一面ニュース。 東京電力福島第一原発周辺で「手抜き除染横行−ゼネコン2件認める」。

 手抜き内容は「洗浄に使った水を回収せずに流した」というものでしたが、小生思うにこれはほんの軽微な内容でかわいい方です。ほんの氷山の一角と存じます。

なぜ手抜きするか?「環境省のルール通りしたら作業が終わらない」とは作業者の弁。さらに正月帰省した友人(除染作業アルバイト)の弁では「まじめにやっていたらいつまでたっても終わらない、会社も見て見ぬふり利益が無くなる」「除染後の線量調査は下がらなければスポット的に再洗浄してハイ終わり!」

金のなる木の下に人が集まるということは昔から変わりません。予算のあるところにゼネコン及び下請け・孫請け・・が集まり利益をむさぼる。まあそれは良いとして、故郷に戻れず苦しんでいる避難者のことも考えてもらいたいものです。

過日、問題になった【復興関連予算の流用問題】もしかり。どうして使途先に沖縄県の道路整備やシーシェパード対策費が出てくるのか?予算を組んだらそれらの使途を強力にチェックする体制も併せて作らないといけない日本。チェックシステム強化は、企業で言えば品質保証部員を数多く増やすようなもので費用ばかり発生し建設的ではありません。他の先進国はどうなっているのだろうか?。

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