2004年盛夏 子供育成会Ⅳ.jpg

この素晴らしい地域(白華山巌峯寺の里山)を子供達に伝えたい

001.jpg

みんな~、はじめるよう!!

今から20年前の夏休みに、岩法寺子供育成会の行事として小学生全員と保護者、そして小学前幼児合わせて総勢103名、


それにドラえもんとのび太君を加え観音山に遠足に行きました。

気温は30度越え、汗をかきながら一生懸命に登りました。

そしてやっと観音山の頂上にたどり着きました。

 紙芝居、「巌峯寺歴史探訪」のはじまり! はじまり!

おーい、ドラエモン、こんな低いところを飛行機がとんでるよ。

「え、のび太君は知らないの! 福島空港があるんだよ。」

「へえー、いつ出来たんだろう。」

「平成5年の3月に出来て、1番機が飛んだんだ。」

「じゃ、今年31歳になるんだ。」

あれ、こっち見てよ!「ずいぶん近くに、こんな古い寺があるんだね!ドラエもん!」

この山は「観音山」、この寺は「白華山巌峯寺の奥の院」というんだよ。 

「ここいらへんでは一番古くて、すごく有名な寺なんだ。」

「いつ頃出来たんだろうね、ドラエもん!」

「約1000年前ということだよ。」

「へえー」   「年表で見てみよう。」

 
002.jpg
003.jpg

! 正確には1,074年の平安時代になります。

いまはここの「令和時代」の2024年です。

「平成」「昭和」を通り越して「大正時代」「明治時代」
300年続いた「江戸時代」そして「安土桃山時代」
「室町時代」「鎌倉時代」と過ぎてここが「平安時代」です。
この時代に作られたのです。この三角印のところです。

2024引く1074は950、950年前です。

「へえー、本当に古いんだね。」
あれ、安土桃山時代に「腹切り所で切腹!」と書いてあるぞ。
昔のお侍さんが巌峯寺で切腹したんだ
「ここから、先にみてみたいな!!」

ドラエモン、「この巌峯寺が作られた「平安時代」に行く前に

「安土桃山時代」により道していこうよ。

「うん、いいよ」

「本当に行って見たいの!」

「うん 行こう! 行こう!」

ようし、タララ ラッタラー  「どこでもドアー」

ドラえもんはポケットから、いつの時代でも行ける「どこでもドアー」を取り出しました。

天気もいいし、 子供育成会のみんなと同じくジュースとお菓子をもって

「行ってみよう のび太君。」

「うん、いってみよう」

004.jpg
005.jpg

「ジャーン!」

むかし、むかし今から430年以上もむかしのお話です。

岩法寺を「奥州街道」が横切っていました。

街道は川辺、小高、中村ときて、双葉電器裏の開山碑前を過ぎて、三つ池に上り、今の「八幡神社」の西側を通って湯神前から「八百匁」を通り、

大黒様から大竹良照氏宅の裏を過ぎて天狗橋を渡り、

久保の坂から道シュウに出て、吉田喜久雄氏宅前を通り、

佐久間英一氏宅から「湯」、今の石森貞三氏宅の横を過ぎて「ふるいた」に至り、

小作田のほうへ通じていたと言われています。

その八幡神社西側に「奥州田楽橋」というところがありました。

この橋は関東からみちのくに通じる道に掛かった大事な橋でした。

橋の近くには「田楽屋」という茶店がありました。

その茶屋「田楽屋」の名前はかなり遠くまで知れ渡っていたということです。

この田楽橋の近くに「腹切り所」といわれるところがありました。

この「腹切り所」については次のような「悲しい物語」があったと

言い伝えられています。

 

006.jpg
007.jpg

 ころは天正のその昔、「豊臣秀吉」という殿様がおりました。

豊臣秀吉は「いつかは天下をとりたい!」と願っていました。

しかし、強くて邪魔な殿様が、今の神奈川県小田原というところにいました。

「北条うじなお」という殿様です。

豊臣秀吉は権力を持っていました。しかし一人では勝てないので、

仲間になってくれる全国の殿様を集めようとしました。

そして大勢で「小田原城」を攻めようと考えたのです。

全国の殿様は権力がある豊臣秀吉が怖くて小田原にあつまりました。

しかし、石川の殿様は小田原に行きませんでした。本当は行きたかったのですが、仙台の伊達政宗公に止められていました。

白河の殿様もいきませんでした。

仙台の「伊達政宗公」も最初は従いませんでした。

 

※子供たち!、これから何々公、〇〇公という言葉が度々出てきます。「公」とは殿様のことです。

 

「バカモノ」

「石川昭光」はなぜ、来ないのだ。

豊臣秀吉公はおこってしまいました。

時は流れ、ついに豊臣秀吉が勝利を収めました。


その後、誰もが恐れていた「奥州仕置き」が始まりました。

「馬鹿にしおって!!。石川や白河の領地は没収だ。」

「ハハー、早速そのように致します。」

008.jpg
009.jpg

この一報が届いた

石川の「三芦(みよし)城」では、大騒ぎになりました。

「石川昭光公」は家来達を集めて意見を聞きました。

家老の溝井六郎右エ門(ろくろう うえもん)は、「豊臣の殿様と戦うこと」を主張しました。

「この土地は天皇からもらった土地で豊臣公からもっらたものでは無い!」

しかし、ある一派は「降参して石川や巌峯寺の土地を

差し出す」ことを出張し、なかなか決まりませんでした。

ハト派とタカ派に分かれてしまったのです。


石川の殿様はおおいに悩みました。

豊臣秀吉公は小田原城攻めの時全国から、22万人を集めました。

豊臣家軍隊だけでも当時5万とも10万人とも言われていま した。「よし、きめた!」

「豊臣の殿様にはとうてい勝ち目はないわ!」

その夜、家臣や血道の人たち7人を集め、

こっそりと甥の伊達政宗公を頼って奥州街道を逃げていきました。

その後、「石川昭光公」は「伊達政宗公」の配下になって

宮城県の角田城を与えられ伊達家の中でも「伊達政宗公」に

ついで次にえらい殿様になったということです。

010.jpg
011.jpg

次の朝になって、石川昭光公が居ないことを知った家老の「溝井ろくろう うえもん」はびっくりしました。

家老とはお城の中では殿様の次にえらい人です。

すぐに石川から奥州街道を北にむかって後を追いました。

殿が頼るのは「伊達家しかない!」と以前から考えていたからです。

 

「とのーっ」「とのーっ」

しかし、「昭光公」の行方はわからなかったのです。

溝井ろくろう うえもん一行はいつしか、巌峯寺まできていました。

「あー、つかれた。やすもう!」

「あれ、ここは昔から、石川の殿様の墓があるところだ!」

そうなのです。「巌峯寺」は石川家の菩提寺であったのです。

初代の殿様から17人がこの巌峯寺に埋められていました。

 

ちなみに17代以降の8人の殿様は石川町の長泉寺が菩提寺となっているようです。

012.jpg
013.jpg

「ぐすん」

こんなことになってしまって、

5百有余年、25代も続いた あるじ石川家のご先祖に対し

「誠にもうしわけない」

殿がいなくては「いくさ」にはなりません。

「もう、城へは帰れない」

「自分はここで死を選ぶよりほかに道はない!」

 家老の「溝井ろくろう うえもん」は殿様がいない石川の城に

もどることは出来ないと考えました。

ここで「死」を選ぶしか無いと決断しました。

「では、皆のもの、さらばじゃ!」

「元気にくらせよ!!」 「達者でな!」

溝井ろくろう うえもんは子供や一族の者たちに別れを告げて「お堂」に入りました。

一緒に自決した者の数など語り継がれていません。

しかし、この時の「供の名前」を書き連ねた文書が岩法寺;

大竹久重氏宅に残っていて、それを見た者が数名いた、と言い伝えられています。 その文書には「67名」の名前が記されて

いたということです。

 

014.jpg
015.jpg

給料

 その当時、殿様から給料を貰っていた「サムライ」は殿様が亡く

なれば「追い腹」といって後を追いましたが

石川の殿様の場合は。「殿が夜逃げして」 追い腹をするという悲しい出来事であったようです。

この「腹切り所」というところは、村営玉川住宅から県道 

玉川・谷田川線に出たところの反対側の田んぼと言われています。

また、「介錯(かいしゃく)」に当たった者の刀などを洗ったという「刀洗いの池」が今でもその近くに残っています。

でも、その場所はあまりに悲しいので、今日はひみつにしておきます。

!「うわーん、ドラエもん かわいそう」

「のび太くんも、そう思う」


「もっと昔の時代にいこうよ!」 楽しいことがあるかも知れない。

「巌峯寺ができた1000年前がいいな!」

「うん、そうしよう!そうしよう!」

そうして、ドラエもんとのび太くんは、さらに520年前の時代に

いくため、「どこでもドアー」の扉をあけました。

016.jpg

 お問合せ・ご相談

お電話でのお問合せ・ご相談はこちら
0247-57-2831

担当:吉田一喜(ヨシダカズキ)

受付時間:年中無休 7:00~20:00
(7:00-18:00は田んぼに出かけているかも?)

福島県玉川村の【FARM 巌峯寺(ファーム がんぽうじ)】では、特別栽培米・コシヒカリを数量限定にて販売を致しております。無農薬米はもちろん低農薬米も。化学合成肥料は一切投入せず、育苗・肥料・水・栽培方法などにこだわりをもって、おいしいお米(玄米・白米)を農家直販でお届けします。特に、「味にこだわりをもつ方」へ自信を持ってお勧めするお米です。 【まあ、いっぺん食べてみなんしょ!】

お問合せ受付中

お電話でのお問合せ

0247-57-2831

<受付時間>
年中無休 7:00~20:00

ごあいさつ

F巌峯寺園主Ⅱ.jpg

園主の吉田です。親切・丁寧な対応をモットーとしておりますのでお気軽にご相談ください。

FARM 巌峯寺

住所

〒963-6311
福島県石川郡玉川村大字岩法寺149

受付時間

年中無休 7:00~20:00
(7:00-18:00は田んぼに出かけているかも?)

福島復興支援

もっと知ってふくしま第2弾

巌峯寺フォトギャラリー

農家長男のブログ

my facebook