激減!稲作農家

201805,31 14:02              フォトはクリックで拡大 

2次チェーン.jpg ただいま降雨真っ只中。田植え後の休日と捉えてホームページを更新しています。テンションが下がると考えることも暗くなります。

 現在、日本人は1億2700万人。82年後2100年には5,300万人。さらに200年後は10分の一の1,391万人。300年後は423万人で約30分の一になると言われています。

 振り返ってみればもう何年も結婚式には呼ばれていません。地域を見渡しても子供の数が激減しています。十分納得できる数字です。

 中小企業の後継者不足が深刻だそうで膨大な雇用と国内総生産が失われるとラジオで聞きました。しかし農業の後継者不足とは少し違うな?とも思いました。

 農家の数は138万戸→10年後72万戸→20年後40万戸と予想されています。農家の7割を占める稲作農家の減り方はもっと深刻だそうです。

現在、稲作農家は95万戸、わずか7年後には38万戸、30年後には10万戸なるようで、日本人口の減り方よりも農家の減り方、さらには稲作農家の減り方が大きくなると農水省は予想しています。

 7年後と言いますと我々の先輩方、いわゆる団塊の世代が就業出来なくなる時期です。ですから小生は先ほどの38万戸にはカウントされているかも?しれません。

 この地域でも空き家が増えています。地域で会合がありますと「俺んちは無くなるな!」「残るのはあの家とあそこの家!」とか寂しい話が良く出てきます。

 日本の人口減少は大きな危機!しかし止める手立てが見つからない今、先を憂いてもせん無い事です。この先大きなチャンスが見えるのですが小生の息子は農業をやるのでしょうか?

北のミサイル発射

2017,08,30 12:02ミサイル発射.jpg

 

 昨日、午前5時58分北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、北海道襟裳岬東1180km付近に落下したとのこと。

 当村には「防災無線」が各戸設置されていますが、流される情報と言えばいままでは「火災情報」程度で静かな村でした。ここ近年は「オレオレ詐欺」や「農機具盗難」といった物騒な情報も流されましたが・・・。

 それが今回は「事前通告無しでのミサイル発射情報」ということで「防災無線」の有難さを感じたところです

 東日本大震災の反省から緊急避難ということも考えられますので布団から這い出て一応、人と会っても笑われないような身支度はしました「はて、小生は何をすればいいのか?」。

 金正恩体制になって80回越えのミサイル。その父や祖父の時代にはそれぞれ「16回」「15回」でしたので5倍以上のペース、その過激さは全くの異状です。これからも日本の上空通過が続きそう。

「夜郎自大」この男の為にあることわざだと思います。陸地に打てば自国が影形も無くなることぐらいは理解しているのでしょうが、追いつめられる国民はタマッタものではありません。

 しかし、よく考えてみれば自給率39%の日本に落とされた場合、食料流通がマヒするのは必至。いや日本への輸出国に落とされても同じか?

東日本大震災から6年目

園児植樹.jpg2017,3,11 9:03

 

 早いもので【東日本大震災】発災から6年目となります。

当時JA白河中島支所で玄米の色彩選別作業をしていました。後で知るのですが、その揺れは3分以上続いたそうです。鉄骨造建物から表に逃げると近隣木造民家屋根からのおびただしい瓦の落下を目の当たりにしました。

そこで「ただの地震では無い」ことを悟るのです。帰宅時の舗装道路は縦に裂けるやら陥没してるやらで、どうにか迂回しながら自宅に戻りました。

その距離たった15kmですが家族の安否・自宅の損壊など考えあぐね非常に遠く感じたものです。いまでも記憶は鮮明、人は命に迫る危険を感じたことはいつまでも覚えているのでしょう

 

 その後、徐々に被災全貌がマスコミで取り上げられ、小生が受けた被災などかわいいものと知らされます。沿岸部では多数の溺死者が出ていたのです。いまでも行方不明の方が・・・。そして当該地域からは「地震・津波による損壊」「原発事故による避難指示」により着の身着のままでの大移動(避難)が始まっていたのです。

 

【私にも何かできないか?】

 当時、我が石川郡内ではお隣の平田村がいち早く避難者を受け入れていました。「そこにお米を送ろう」と考えたわけですが相手は丁寧に断りを入れてきました。「玉川村での受入れ者へ」という返事。

受け入れに消極的だった当村への嫌味でしょうか?はたまたすぐ調理できる白米仕立てが希望だったのか?

ただ、内陸部といえども被災後の諸問題を抱えている中、早急に受け入れた平田村の寛容さには驚いた次第です。


 さて、6年の時を経た今でも約80,000人が県内外で避難生活を強いられています。転居回数も5・6回は良いほうで10回以上の方々も相当数。避難指示解除と言われてもふくしま県の人口流出は避けらそうもありません。

避難した方々の苦しみを知る由もありませんが精神的な苦痛、しまいどころのない涙、そして肩身の狭さ、プライバシー無き生活は生き地獄であったあろうと想像がつきます

その中で一番心配したのは感受性の強い子供たちのこと。避難先では部屋も無く勉強どころではなかったでしょう。まして見ず知らずの土地での学校生活はいかばかりか?と考えます。


 ここにきて、原発事故で避難した子供達へのいじめが相次いでいることに心が痛みます。6年もの時間が経っているのですから長い期間耐えていたことが伺えます。その上に耳を疑う金銭恐喝もあり怒りが込み上げてきます

小・中学生に賠償金など知る由もなく大人の責任も見過ごすわけにはいきません。これも氷山の一角なのでしょうが好きで転居している訳ではないのですから暖かく見守ってほしいものです。同じ日本人なのですから。

叔母の3連覇達成

2016,08,24 19:18            フォトはクリックで拡大 

H28地区盆踊り大会 仮装踊り3連覇
盆踊り大会.jpg 叔母の3連覇.jpg

  毎度、暗いニュースで恐縮ですが福島県の人口は本年10月で190万人割れとなりそうです。

福島県中通りは交通の便が良く会津地方やいわき地方と比較すると企業立地もあって職場には恵まれています。と言いながらも、そこに位置する我が玉川村も御多分に漏れずじわりじわりと過疎化が進んでおります。

■そのような中、今季も「巌峯寺地区H28年度豊年盆踊り大会」が催されました。

巌峯寺集落の青年団員は2名。その内の1人が長男です。

【集落伝統行事の保存・伝承】と一口に言いますが2人でよくやったものです。親の心境とすれば心配するものですが地域の先輩や他集落の仲間達を集めて実行したようです。今年は踊り手が多く40人は超えていたような・・・

■そこに踊り好きな叔母がここ数年参加しています。郡山市に嫁いだのですがお盆には毎年親の墓参りに当FARMに来てくれます。盆踊りの夜は仮装して繰り出しますが過去5年間で3年連続で一等賞を確保。

今では名物叔母さんとなっています(右フォト)。年齢は78歳ですから2時間も踊りまわる足腰には驚嘆いたします。

「来年は難しいかも?」そんなことを言わずに4連覇目指して頑張ってください。

映画「フラガール」

映画フラガール.jpg

2016,02,28 17:52

 昨夜、「映画フラガール」をユーチューブで見ました。実はこの映画は9年前の9月下旬の全国公開時に郡山映画館で見ていました。よって懐かしく当時がよみがえってきます。

 公開初日、郡山に李 相日監督並びに数名のガールズ達が挨拶に来らていましたので記憶は鮮明です。「母ちゃん」役の池津祥子氏も来られていました。

脇役の池津さんが挨拶をされた際に「かあちゃん」と大声で叫べば・・・館中がどっと湧いて応援になると一瞬思いました。しかし当時、座っていた席がステージから一番遠い最後列、かつ目が悪く池津さんと明確に自信が持てなかったこともあって躊躇してしまいました。「もし間違っていたら・・・」と廻りの目も気になり言えなかったことは後悔の念として今も残っています気が小さかったのです

 しつこいですが本当に喉元まで出ていたのです。今日知ったことですが池津祥子氏は郡山出身の女優だということ。福島県出身と判っていたなら・・・「まして地元での晴れ舞台」・・・なおさら後悔しています

 舞台は昭和40年代のいわき市湯本、かつて炭鉱があった小さな町の物語。石炭から石油へとエネルギー革命が行われる中、各地で炭鉱の閉山が相次ぎます。その危機を救おうと会社が構想した「一大プロジェクト」。東北片田舎に「ハワイ」を作ると実話です。

 関東以南ではなく東北に作るという構想。昭和40年当時、温泉が湧き出ていたとはいえ誰も考えはしないでしょう。

岸部一徳氏が演じた吉本部長の苦悩とはどの様なものっだたのでしょう。昭和の時代、東北の地で「フラダンス!?」当然、否定的な意見・反対も多かったことでしょう。

 昨年(2014年)の年間入場者は150万7000人ということですのでこの構想は見事に成功したわけです。この施設内で働く人々及び取引関係者などの生まれた雇用は知りませんが、映画内で鉱山採掘最盛期4,000人ということですので会社としての目的(新事業展開)は果たせたのではないでしょうか。いやマクロ的にみれば福島県にとっても大きな間接的メリットを得ています。

 その後3.11東日本大震災により建物が被災、全館休館となりますが再オープンに向けて50年振りにフラガールズ達の全国キャラバンが行われたようです。この「めぐり合わせ」に当時のフラガール関係者はどの様な思いを持っているのでしょうか?

しかし、9年前の映画では気付きませんでしたが女優達のダンスは本当に見事でした。どのくらい特訓をすればあの様に踊れるのでしょうか?

ラストシーンは大成功に終わり「めでたし!めでたし!おめでとう!」と心の中で拍手を送りましたが、あの完成されたフラダンスには「女優魂」を見せつけられたようで恐しさまで感じた次第です

熊谷育美ライブイン国分町

2015,11,26 21:04              フォトはクリックで拡大 

DARWIN 熊谷育美氏  myエレキギター myフォークギター
ライブハウスダーウィン.jpg 熊谷育美.jpg エレキギター.jpg エレアコギター.jpg

 昨日(11月25日)仙台国分町のライブハウス【DARWIN】にて熊谷育美女史のライブを見てきました。

小生はあまり乗り気ではなかったのですが、友人がかなり惚れ込んでおり「是非、一度生(ナマ)で見たい!」ということで仙台市国分町まで行ってきました。当然チケット代は彼持ち、実のところ小生もライブは嫌いではありません。

玉川村から高速道路を使用して約2時間30分、帰り道は雪が降ってきて、さらに積もりはじめており結構怖いものがありました。自宅に着いたのが深夜0時。

 宮城気仙沼在住のシンガーソングライターで以前からNHKラジオなどでその存在は知っていましたが、東北の片田舎にこのような【歌い手】が居ることには驚きました。それよりも田舎に生まれて「あのセンスを身に付ける」ことが驚きです。どのような環境で育ったのか非常に興味があります。

 大都市圏では無く気仙沼から発信していること、そしてその存在で大震災後遺症で苦しんでいる方々に「音楽を通して」大きな勇気を与えていることは心打たれます。

 小生も遠い昔、ギターの魅力に引き込まれた時代がありました。それは14歳から25歳くらいだと思います。誰かのコピーをしているうちはまだ良かったのですがオリジナル曲を始める頃になると「音楽」では無く「苦痛」と感じてきました。当時、あるコンテストで決勝まで残りTV主演までしたことがありました。でもそれは喜びや嬉しさでは無く、重く重くどうしようもない苦しみに感じていました。

 自分のセンスの無さやバンド仲間の冷たい視線・・・。「音楽」ではなく「音我苦」と思っていました。悩めば悩むほど、練習すればするほど深みにハマっていき良いフレーズが出てこないのです。プロをみていますと「もうこの間奏しか無い!」というほどピッタリハマる演奏をしてきます。努力とかテクニック云々は二の次なのです。楽器を通してどのように音を表現するか?いわゆるセンスなのです。

 たまにラジオ・テレビなどから素晴らしいギターフレーズが流れてくると血が騒ぎ興奮しますが、昔の様に「ギターを弾いてみよう」という気にはなれません。右側2点のフォトは今も保有しているエレキギターとフォークギターです。息子がたまに弾いているようですので長い間眠っていたギターも救われると思います。

三陸復興視察の旅

2015,05,07 22:29        フォトはクリックで拡大 

奇跡の一本松  三陸鉄道  民宿前川殿  復興事業
 奇跡の一本松.jpg  三陸鉄道.jpg  民宿前川殿.jpg  岩手復興は.JPG

 ■G・Wである5月5日より6日にかけ一泊にて岩手県南三陸地方を訪ねてきました。

東日本大震災時、津波による人的被害は福島県よりお隣の宮城県・岩手県の方がはるかに大きなものであったことは知っていました。そしてその後「あまちゃんブーム」もあり以前よりこの三陸地方が気になっていました。

 今回、友人3人で一ノ関から陸前高田市・大船戸市・釜石市などの被害の大きかった沿岸部を巡り、その復興状況をこの目で視察してきました。

 人的被害者数の圧倒的に多かった町は宮城県石巻市です。しかしながら人口比率で見た時の「大槌町」「陸前高田市」など岩手県沿岸部三陸市町の被害はその数倍とのことだそうです。

■「奇跡の一本松」や「三陸鉄道南リアス線」などに接して、心の痛む思いでした。 復興に向けてビックリするほど大がかりな工事が行われていたことが今も深く印象に残っております。

■5月5日の夜は釜石市鵜住居町の【民宿前川殿】に泊まらせて戴きました。 旧施設は集落共に津浪で流され、大槌湾が一望できる高台に昨年新築されたとのお話を女将さんから伺いました。

■愛嬌たっぷりの女将さんでしたが話しているうちに「長女を津波で亡くされた」というお話を聞いてからは目を見て話せませんでした。 【釜石市の復興はまだ2割程度だと思います】旦那様が目を細めて話しておられました。

■その夜の「夕げ」には一同ビックリ。宿泊料金に似合わぬ料理が次々と運び込まれます。新鮮な「カツオのたたき」から始まり「ホタテの刺身」「真マスの焼物」「初摘みワカメ」「春野菜のてんぷら」などなど・・・etc。その後まだまだと言わんばかりに「巨大な網焼きホタテ」ダメ出しで「殻付きウニ」など・・・ただただ恐縮の一言。

 「残しては失礼!」と一生懸命に食べ尽くしました。そのためお酒を思う存分飲めなかったのは心残り。

■翌日、釜石駅前からレンタカーを借りて「鉄の記念館」や「遠野ふるさと村」などのんびりと巡ってきました。

岩手県沿岸地方の復興促進と三陸にお住いの皆々様のご多幸を陰ながら祈らずにはおられません。

パソコンに異変!更新できません。

2015,04,02 

 3月中旬ごろよりパソコンの調子が悪く、ホームページを更新できません。

焦りますが、春先の農作業が忙しく電気屋さんに行く時間を見出せません。

ご迷惑及びにご心配をお掛け致しております。

今しばらくのご猶予を戴きたく存じます。

伝統の白河だるま市

白河だるま市.jpg2015年2月14日                            フォトはクリックで拡大


 2月11日(水)の「白河だるま市」に来てみねが?」友人より誘いが入りました。
水曜日は冬季アルバイトが休みの日ですので馬鹿にしつつも親友と出向いてみました。「反省です」軽く視ていた自分を恥ずかしく思いました。


白河市内の目抜き通り1,5kmに700店舗の屋台が立ち並び、身体を横にしないと歩けません。
小生、これほどの屋台を見るのは始めてで、会場の熱気にはビックリ致しました。
翌日の新聞によると「2月時期の晴天は珍しく、16万人が集まった」ということです。

白河だるま市U.jpg
 小さい頃、今は亡き父に連れてきてもらったという記憶が蘇ります。いまから40年も前の話です。
その頃、娯楽というものが無かったのかもしれません。父は、わざわざ白河まで出向き、毎年縁起だるま購入し、そして神棚に供えていました。
月こそ違いますが11日は「震災命日」で、はや3年と11か月を迎えました。
白河市あげての「伝統だるま市」に白河市民の復興魂を見たような気がしました。


その後、食事と称し酒を酌み交わしながら白河市内に7時間も居座りました。
でも、何となく白河市に親近感を覚えたことも事実、今後白河市に関するニュースには真剣に聞き耳を立てそうな自分が居ます。 

原発避難者自殺訴訟について

原発避難者自殺訴訟.jpg2014年8月29日 23:27 

東日本大震災発生以降、震災関連自殺者数が130人を超えました。なかでも原発事故を抱えた福島県は年々増え続けています(56人)。

十分考えられたことですが、小生が当時思った通りに増え続けていることに「内心ゾッと」しています。

 先日、川俣町山木屋地区の主婦の自殺をめぐり、東電に賠償を命ずる判決が福島地裁にて言い渡されました。

【自殺と原発事故は因果関係がある】

東電の賠償責任について踏み込んだ判断を示した福島地裁の判決!これは画期的な先例になると思います。

それは原発事故にまつわる東電の責任や過失を問う裁判が山ほどあるからです。

この遺族(特にご主人)の強い信念には敬意を表したい。2人のご子息なども職場では「かなりつらい思い」をしたとのことをお聞きします(現在は退社)。長い孤立と闘った【遺族の勝利】に乾杯です。

 

【東京電力は控訴をせず、これ以上避難者を苦しませないでほしい】 避難者ではない私の望みです。

東日本大震災 発災3周年

築100年被災した土蔵U.jpg2014年3月10日 21:49                フォトはクリックで拡大→ 

 明日(3月11日)、【東日本大震災】発災から3周年を迎えます。
それは海岸及び福島第一原発から60kmも離れて被害が少なかった小生にとって、今となっては短い期間に感じられます。しかしながら発災により何もかも失った方々にとっての3年間はどのようなものだったのでしょう。
我が家は、ふくしま県中通りに位置し物的被害や精神的被害は大きいものではなかったと思います。
それでも、築100年目の土蔵は地盤沈下で傾き、昨年4月に取り壊しました(解体費用;300,000円。両親が住んでいる「隠居」と農作業所の棟瓦が落下、この修理に約200,000円、母屋の床が陥没、この修理費用に約400,000円、墓地修理に約100,000円、合計約100万円以上の支出が発生致しました。
そのほかまだまだありますが、自宅廻りの塀などの修理は出来そうにありません。贅沢は後回しです。
でも、浜通り8市町村の家族を失う、家屋を失う、仕事を失う、何もかも失った方々と比べたらまだまだ平穏だと思います。

癒されることが無い悲しみ、やり場の見つからない怒り、絶えることが無い不安、どのような思いで暮されていることか?


■当時のこのようなことが思い出されます。
 震災から数日後「隣村の平田村が浜通りからの避難者を受け入れている」との情報をラジオから得ました。
我が玉川村は避難者受け入れに慎重でありましたがお隣の平田村のスピード感には感心感銘してしまいました。
当時、90袋ほどお米在庫がありましたので。平田村役場にお米の提供を申し出ました。
担当者は「上司に相談します」としましたが、その後、平田村役場より辞退の電話がありました。
結局は小生米はお役にたて無かったのでした。


 あれから3年経ったのです。震災前に13,000円/30kgで販売していました【農薬・化学合成肥料不使用コシヒカリ】。そのお米も今では9,600円!今思えば多くのお客様が去っていきました。
昨今の農業情勢からみても回復は無理だと思っています。今後は品質を落とさずのコスト削減米作りを模索していきます。
それしか生きる道は無いと考えております。また戻ってきてくれることを祈念しながら今年の春も「特別栽培米」及び「有機栽培米」を作付けするのです。
頑張らなきゃ!浜通りの人々を思うと、住むところがあって耕す田畑があるのですから!まだまだ救われているのですから・・・。

ふくしまオーガニックフェスタ2013

2013年11月23日(土) 19:06             フォトはクリックで拡大 ↓

郡山ビックパレットにて
ブース風景 中村和夫氏と 稲葉先生発見
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 本日、友人と郡山市ビックパレットで開催された【ふくしまオーガニックフェスタ2013】に行ってきました。

イベントでは放射能と暮らしを考えるシンポジウムのほか、有機農産物の販売、本県の食材を使った料理の提供などがありました。

このイベントの開催はNPO民間稲作研究所代表の稲葉先生より、事前通知をもらったことで知っていました。ほんの少し期待はしていましたが、まさかこの場所にあの忙しい稲葉先生が来られているとはビックリ。私は教え子ですから当然のことご挨拶をさせていただきました。ご健勝で日本中を駆け巡っているお姿に活力をもらいました。

福島県を代表する有機農業実践者の「中村和夫氏」「長谷川浩氏」また、秀明自然農法ネットワークの小豆畑氏などとも会話する機会を得ることが出来ました。

お米農家中村和夫氏の弁;「震災・原発事故の年は半分のお客様が去っていきました。今は耐える時です。少しづつだがいろいろな方の紹介でどうにかさばけています。やはり人脈は大切だと思いました・・・」

自宅に帰ってきたいまでも中村氏の言葉が残っています。自らを顧みて「このまま一匹狼でいいのだろうか?」

父の新盆供養と盆踊り大会

父の新盆供養.jpg2013年8月16日 18:02              フォトはクリックで拡大→

 父の新盆供養を8月13日に行いました。当部落においての一大イベントで、葬式より大変な儀式です。葬式は葬祭場を借りて近所の方々や業者スタッフ等のお手伝い・応援を受けることが出来ます。しかし、この新盆供養は自宅で身内で切り盛り致します。

集計したら焼香客が160名。 本当に恐ろしい「しきたり」が残っているのです。

そして今後、当部落でどのようにこの儀式を簡素化していくか?が毎年、あちらこちらでお盆の話題となるのです。

ちなみにお袋は儀式の後、寝込んでしまいました・・・・。

★盆踊り大会で上位独占!

 翌14日は当部落の恒例盆踊り大会が実施されます。少なくなった地元の青年団

盆踊り景品.jpg

がこの伝統行事を引き継いでくれています。他の部落ではもう見ることが出来なくなっている様です。

新盆供養で里帰りしていた叔母連中(父の妹)が、この懸賞付き盆踊り大会にすごい仮装をして繰り出していきます。いまどき踊り手など少ない時代ですので毎年、「仮装して踊ると上位入賞が十分可能・・・」とのこと。

しかしながら、今年は1位・2位を独占して帰ってきました。

帰宅後の話が弾むこと!弾むこと! 

小生は会場には行きませんでしたが、話を聞いていると「入賞を逃し、地団駄踏んで帰っていく踊り子」が目に浮かぶ様でした。

先ほど「送り火」を焚いて自宅に戻った父を見送りましたが、思い出多き「父の新盆供養」となりました。

父の葬儀と土蔵解体

父葬儀と土蔵解体.jpg2013年2月10日 AM10:30

 1月29日朝から東日本大震災で大きく被災した土蔵の解体工事が始まりました(初日は屋根瓦撤去工事)。

解体を地元の業者に依頼してから約1年後の着工となります。それは玉川村が2月末日を以って「廃棄無料の瓦礫捨て場」を打ち切り撤去する方針を出しました。その情報を業者が知り解体着工に至ったと考えられます。

それは良いとして、その夜午後11時10分に父が病院で息を引き取りました。申し合わせた様に・・・築丁度100年目の土蔵と昭和10年生まれ77歳の父を同時に亡くすことになってしまいました。

土蔵解体の前の【お祓い】などはしておりません。言い訳になりますが、前日突然の業者社長の解体着工宣言!夜は病院で父の看病、昼は仕事(日雇いパート)でそれどころではありませんでした。いや全く【お祓い】など頭に無かったというところが事実。

吉田家の良き一時代の繁栄が崩れていく様な思いにとらわれて、実際のところ大きく落ち込んでいる自分がいるのです。 ・・・解体工事再開は49日法要の後にしましょう。

手抜き除染は氷山の一角です。

自衛隊による除染作業.jpg2013,01,09 17:39                   フォトはクリックで拡大 →

 昨日の一面ニュース。 東京電力福島第一原発周辺で「手抜き除染横行−ゼネコン2件認める」。

 手抜き内容は「洗浄に使った水を回収せずに流した」というものでしたが、小生思うにこれはほんの軽微な内容でかわいい方です。ほんの氷山の一角と存じます。

なぜ手抜きするか?「環境省のルール通りしたら作業が終わらない」とは作業者の弁。さらに正月帰省した友人(除染作業アルバイト)の弁では「まじめにやっていたらいつまでたっても終わらない、会社も見て見ぬふり利益が無くなる」「除染後の線量調査は下がらなければスポット的に再洗浄してハイ終わり!」

金のなる木の下に人が集まるということは昔から変わりません。予算のあるところにゼネコン及び下請け・孫請け・・が集まり利益をむさぼる。まあそれは良いとして、故郷に戻れず苦しんでいる避難者のことも考えてもらいたいものです。

過日、問題になった【復興関連予算の流用問題】もしかり。どうして使途先に沖縄県の道路整備やシーシェパード対策費が出てくるのか?予算を組んだらそれらの使途を強力にチェックする体制も併せて作らないといけない日本。チェックシステム強化は、企業で言えば品質保証部員を数多く増やすようなもので費用ばかり発生し建設的ではありません。他の先進国はどうなっているのだろうか?。

Miyasan来宅

熱塩加納村-あららぎ峠U.jpg2012年12月09日 14:00                 フォトはクリックで拡大 →

 須賀川市を拠点として活動するアマチュアカメラマン【Miyasan】が来宅されました。右写真をわざわざ額に入れて置いていかれました。撮影場所は「熱塩加納村のあららぎ峠」ということです。

しかしながら見事は写真です。何の変哲もない雪山の風景ですが「白」と「藍」のコントラストが素晴らしい。早速、客間に飾りました。

過日、Miyasanの写真を小生ブログに使用させてもらってるお礼をしたところ、ただでは受け取れないとこの写真を持って来てくれた次第です。

 話は変わりますが、「7日夕方の地震」には驚きました。当地域の震度は4クラスでしたが脳裏に刻まれた「3・11」の悪夢がよみがえり5にも6にも感じられました。沿岸部の方々は大きな津波を想像し肝を冷やしたことでしょう。翌日の新聞をみたら「ガソリンスタンドが長蛇の列」の見出し。皆、トラウマになっていることは事実です。

中間貯蔵施設 調査受け入れ

防護服で田植え.jpg2012年11月30日、20:58                    写真はクリックで拡大 →

 昨日の福島地方紙(福島民友)の一面記事は原発事故の除染で出た廃棄物を保管する「中間貯蔵施設の現地調査受け入れが決まったこと」です。

昨年8月に中間貯蔵施設の県内設置を菅直人首相が知事に要請してから1年3か月、環境省は具体的な回答を得られ大変、興奮している様です。

福島県知事はじめ双葉郡町長諸氏の決断は大変胃の痛いものだったと想像します。特に9か所(全体では12か所)の候補地がある大熊町の町長、そして住民みなさんの気持ちはどうなのでしょう?

30年後の県外搬出といっても受け入れる自治体があるでしょうか?「最終処理施設OK」との暗に含みを持たせての調査受け入れ回答でしょうから・・・本当に苦渋の決断だと思います。

今後、大熊町での田植え風景を見ることが出来るのか?。農家は何も悪いことをしていないのに・・・

大震災から1年6ヵ月

相馬市訪問.jpg2012年9月11日 22:01

  右写真は福島県伊達郡【川俣町内の国道沿いのオブジェ】です。去る8月19日(日)に南相馬市の有機栽培農家にお邪魔してきました。その道中で川俣町を通過しました。余りにも印象的だったので車を引き返し撮影してきました。川俣町はコスキン・エン・ハポン2012が開催されるなど国内関係者の中でも有名な街です。川俣シャモをメインにした「焼き鳥祭り」なども知名度が高く、以前より気になっていた地域です。風向きの影響で川俣町山木屋地区などは放射線量が高く計画的避難区域に指定されました。私の若い頃よりの知り合いが山木屋に住んでいました。ご家族のお葬式にも参列いたしました。

 大震災から1年6ヵ月目ということで「新聞・TV・ラジオ」などのメディアは日頃より大きく取り上げていました。しかしながら【復興】という点で大きく変わったことが無かったのが寂しい気持ちになりました。

福島県の人口シミュレーション、2040年には4割減の約123万人まで減少するとの試算!震災前の県人口が230万人でした。そこまで減りますか?・・・・

 

深刻な干ばつ

秋取りインゲンU.jpg2012年8月29日 13:54

 今、米国では56年ぶりの深刻な干ばつだそうです。5月上旬以降雨らしい雨が全く無く大豆・トウモロコシなどの穀物値が急騰しています。

先週にはついに市場最高値が付いたそうです。当然その影響が輸入牛肉などに波及してくるでしょう。

 我が玉川村も同様、「雨の恵み」がありません。右写真はお袋が植えた【秋取りインゲン】です。下葉が枯れて溶けてなくなりそうです。これでは実を付けることも難しいでしょう。父の介護をしながらも合間を見つけ野菜を作り出荷しています。それが母の楽しみなのです。

もうすぐ9月とは言え昨日の福島市と会津若松市の温度は35.6℃越えの猛暑日、この地域でも34℃。暑さは気力で我慢できますが百姓にとって雨が無いのは本当に効きます。8月の降雨量は平均値のわずか8%の12ミリ。お隣の石川町が7%の10.5ミリで県内でもワースト一位二位を争っています。

近隣市町村には雨が降っているのに当村上空だけを雨雲が避けて通ります。あ~ うらめしや!これも天災だ。

原発事故から1年3ヵ月目

二本松5人死亡事故.jpg2012年6月12日 8:47

 昨日で原発事故から1年と3か月目を迎えました。

その様な日に福島地方紙のトップ紙面は暗いニュースで埋め尽くされていました。【新聞とは暗いもの、ネガティブな読み物】と改めて思いました。

■原発事故で三春町に避難していた葛尾村民を乗せたワゴン車が大型トレーラーと正面衝突(右写真)、5人が亡くなりました。眼科医院への通院途中の事故だとのこと。負の連鎖!神はいないのか?

■避難区域に指定されている11市町村で【2万8000人-5年後も避難必要】との記事。これは除染しない場合の政府シミュレーションで、年間被ばく線量20ミリシーベルトを上回ったまま帰還出来ないとのこと。

野田総理!「ふくしま県人」を助けてください。

■またこの日、避難住民の70%以上が【4回以上の避難】を繰り返したというアンケート調査が出ました。6回以上は32%!

私がその立場だったら気が狂っているのかもしれません。

■いま、菅前首相が国会の事故調査委員会で「過剰介入で現場に混乱を招いた」と叩かれています。これも悲しい記事です。東電や原子力安全・保安院も組織として機能していなかった当時、だれが事故収束の道筋を付けたのか?国会議員・・・?野党議員・・・?、ただただ批判ばかりしていた当時を思い出します。

被災地へのプレゼント?

2012年5月11日 19:28

ご注文.jpgさる3月半ばごろ愛知県のある会社様より電話を戴きました。「弊社であるイベントを企画をしております。その参加賞として福島米を使いたい。復興の手助けになればと考えています。・・・との弁」有難くお受けいたしました。

【捨てる神あれば拾う神あり】とはよく言ったものだ。

商品の発送は着日で5月17日指定。ということは福島を16日に発送しなければいけません。預けている倉庫業者よりお米を引き取ってきて常温に戻し、精米、計量、ラベル貼り、袋詰め、結束などなどと工程が多く、遅くとも5月15日までには商品の準備しなければいけません。

この15日前後は結婚式・お寺檀家の総会・特栽農産物の再申請・農業普及所訪問などの予定が入っていることで作業は難しいと考えていました。よって今週しかないと根を詰めて頑張りました。

イベント成功を陰ながら祈っております、ありがとうございました。

あす、大震災から1年

 2012年3月10日 10:54

 東日本大震災は明日(3/11)で発生から一年を迎えます。福島民友紙が【東日本大震災 被害状況まとめ】を公表致しました。犠牲者;15,854人、行方不明者;3,167人という大惨状。福島県人の県内、県外への避難者数合計;160,502人、改めまして被害をうけられました皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧復興と皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

東日本大震災被害状況まとめ2012,3,10.jpg

地震・雷・火事・親父

床陥没.jpg2011年2月22日 22:48

 東日本大震災(3/11)で母屋の床底一部が陥没してしまいました。今年1月までに再度、大きな余震があるとの情報を信じてほっぽっておきましたが、昨日より近所の大工さんが修理工事に入りましたのでご報告します。

この母屋(自宅)は土蔵以上の築年数(100年)を持っていますので壊れても不思議はないのですがここにきての出費は痛いです。

「2.5cm、南南西側に傾いています。嫌でなければ柱から見て、後40年は住めます」とは大工さんの弁。

【地震・雷・火事・親父】とは昔から良く言ったものですが、なぜ一番最初に「地震」が来るのか?今回で本当に身に浸みました。

 

■ 余談ですが【地震・雷・火事・親父】の「親父」とは台風のことだそうな!。それであれば全部天災ですのですんなり腹に落ちます。

じつは「親父」とは「台風」のこと。 もともとこの「親父」は「大山風(おおやまじ)」といったようです。
 「大山風」とは台風のことで、それがいつのまにか「親父」となってしまったのが真相らしいです。 
最近はお父さんの立場も弱くなってきているので、そろそろ元に戻してもいいかもしれませんね。(雑学、豆知識(トリビア)ブログより)

さようなら築百年の土蔵(DOZOU)

土蔵取り壊しU.jpg2012年1月25日 21:06

 本日、近くの建設関係業者に土蔵の解体・撤去を依頼してきました。そして業者の社長に現場(自宅)を見に来てもらいました。

この時点で「土蔵の取り壊し」の契約が成立しました。お袋にも立ち会ってもらいましたが、「築100年目の土蔵が私の代で取り壊すことになるとは残念・・・」とお袋の無念の弁。

私は土蔵の価値をあまり知りませんが、お袋が生きた保冷設備の無かった時代は貯蔵庫として大事な役目を果たしていたのでしょう。愛着の重みがぜんぜん違うことを感じました。

忘れもしない3.11、【憎き東日本大震災】、工事が始まりましたらまたご報告いたします。

大震災から節目の10か月目

imagesCAY8SN3Q.jpg2012年1月13日 20:35

 大震災から早、10か月目を迎えました。 あれから何か変わっているのだろうか?

そういえばこのような俳句があったな!  【内閣に 作ってほしい すぐやる課】

 やっと田植えが終わった!と思ったら炎天下の草取り作業、収穫が終わった!と思ったら寒くなる一方。

 大きく被災した福島・宮城・岩手で仕事を失った人に支払われてきた雇用保険の失業手当の給付が13日から順次切れることになるそうです。給付が終わる人は2月末までの2カ月間で約4,000人。そしてそれからは続々と・・・。

 大震災以降、婚約・結婚指輪の売り上げが増える一方で、離婚を相談する人が増えているそうな。ある民間相談所では4月以降、「被災者の離婚相談が震災前と比べ3倍に達した」とのこと(河北新報)。

 「金の切れ目は縁の切れ目」という昔のことわざがありますが・・・

このごろどういう訳か「ネガティヴな考え方」をしてしまいす。そしてまたその様な記事に興味を覚えます。

寒さのせいでしょうか?いくら暑くても悪いことは考えませんが寒くなるとどうしても・・・

今後は生活保護を受ける人は増えるでしょう、そしてまた仕事が無く受給者はさらに増えると思われます。

失業手当についてこんなことを言った人がいました。

【いつまでも払い続けるのは不同意だが、せめて震災から三年くらいは払ってもいいんじゃないかな、とは思う。
 予算的な理由なら、東電に払わせたらいいのに。っていうか、自分から払うべきだと思うなあ】

よくぞ言ってくれました。パチ・パチ・パチ

明日で節目の8ヵ月

2011年11月10日 AM10:01kenji kishimoto.jpg

 明日で節目の8ヵ月目を迎えます。福島県双葉郡8町村から避難している住民のうち、若い世帯の半分以上が、元のすんでいた場所に「戻る気はない」との調査結果が出ました。

その理由として

●除染が困難            ・・・83.1%

●国の安全レベルが信用できない・・・65.7%

●原発の事故収束に期待出来ない・・・61.3%

 

「戻る気はない」と答えた世帯以外でも、戻るまでに待てる期間は「2年以内」と半数以上が無念さをにじませ回答したとのこと。

 

福島県人口はついに200万人を切ってしまいました。非常に残念です。

 

 昨日午前10時ごろ、福島空港に出向いたら国際線チェックインカウンターなども閉鎖されておりロビー全体が閑散としていました。レストラン従業員の女の子に声をかけたら「まだ、開店していませんがどうぞお入り下さい!調理場に聞いてきまーすわーい(嬉しい顔)」と非常に明るい声。このギャップに不思議な気持ちになってしまいました。

 

そして、明日(11/12)から始まるアジア太平洋経済協力会議(APEC)で野田首相がTPP参加判断を下す意向とのこと。

この先【ふくしま】はどうなるのでしょう・・・

プラス【風化】

2011年7月26日 AM8:41

 

■福島地方紙にこの様な記事を見つけました。

 大震災から4か月が経過した今、福島県人は「地震、津波、原発事故、風評被害だけではなく【風化】をプラスした五重苦に直面している」。

当ホームページのアクセス数も以前からじわりじわりと低迷しており、以前から何となく疎外感を感じていたこの時期でしたので「この記事」を何度も読み直してしまいました。

 

記事内容の一部を紹介いたします。

●県幹部が霞ヶ関の中央省庁を回り、福島県の実情とを訴え財源措置を求めたが国の担当者との折衝の中、被災地との思いと強い温度差を感じ疲れ果ててしまった。

●震災直後から7月1日までの福島対象の義援金は144億9434万円、しかしながら6月3日からの一か月間では19億3700万円と大きく低迷。

●ボランティア人数も5月;30,632人→6月;20,501人と激減。 3月-6月で最低。

 

 もうすぐ「お盆」を迎えます。故郷を東北に持つ方々が帰省、会話する時間が持てると思います。しかし私は「それ以降の風化」がもっと怖いと感じます。 中央圏での物産フェアーなどがどうにか盛況なのは東北を故郷に持つ方々の裏支えではないか国会議事堂.jpg?と考えていましたから・・・。

避難をされている方々は「日々の生活のなかですべてに無気力になっておられる方々が多い」とも書いてありました。

その一方では怒号(ヤジ)渦巻く国会、答弁者の声が聞こえないくらいにまた政争・・・【いつになるやら!】東北県民のボヤキが聞こえてきます(ー_ー)たらーっ(汗)

東日本大震災全貌

■2011年6月10日 22:57 

 明日(6月11日)で【東日本大震災】発生から節目の3か月目を迎えます。3か月前の地震当日のブログで、「全貌が見えてきましたらご報告する」と申し上げましたが、あの時の地震がこれほど甚大で、東日本地域の人々にこれほどの苦痛と悲しみを与えるとは全く考えていませんでした。

 本日(6月10日)、共同通信社殿がまとめた【各都道府県被害まとめと交通網の状況】が公開されましたので引用させていただきます。

 

scan-001幅700ピクセル.jpg 

 

6月9日現在、死者数;15,399名、行方不明者数;8,146名 、避難者数;91,418名。

 1995年の「阪神・淡路大震災」時の死者数;6,434名、行方不明者数;3名 と比較してその甚大さがいかほどのものだったか理解できます。 死因の90%が溺死との報道、津波の本当の恐ろしさを改めて知らしめた姿となった。

 

■東日本大震災には度肝を抜かれましたが、腰が立たないほどビックリした事件がありました。「5月30日に自民、公明両党が内閣不信任案決議案を提出する考えがある」というものです。

誰がこの時期に出すものか?「自公から皆引くぞ!墓穴を掘るぞ!」と思いましたが、翌日、さらに「民主党の一部も同調する」との報道がありました。これには本当に言葉を失ってしまいました・・・。

そこまでのプロセスはどうあれ。そして、とうとう6月2日の本会議で採決に至りました。結果はどうでもいいですけど・・・

 

 地震研究者は本年11月までに「マグニチュード7.0以上の大地震が再度、必ず日本を襲う」と予想していますが、もうすでに上記のような【永田町大震災】に見舞われました。これ以上怖い地震が来ても東日本の方々は驚くことはないでしょう。

 

福島県石川郡玉川村被災状況U

■2011年3月13日 22:23分

  ただ今、やっとのことで玉川村役場総務課に電話が繋がりました。

現時点において玉川村における【ケガ人】【死亡者】【行方不明者】の報告は無いとのことでした。

ご安心願います。

取り急ぎ。

 

※左サイドバーのブログU(地震被災編)をクリック願います。

福島県石川郡玉川村の被災状況

■2011年3月13日 21:13分

 小生が把握している現況報告です。

玉川村民の地震の影響によるケガ人・死亡者は現時点で聞いておりません。

また、ライフラインなども現時点で不自由を感じておりません。

ひとまずご安心願います。

 ただしながら建物・道路などの壊損はご承知おき願います。

 取り急ぎ。

 

※左サイドバーのブログU(地震被災編)をクリック願います。

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