映画「フラガール」
2016,02,28 17:52
昨夜、「映画フラガール」をユーチューブで見ました。実はこの映画は9年前の9月下旬の全国公開時に郡山映画館で見ていました。よって懐かしく当時がよみがえってきます。
公開初日、郡山に李 相日監督並びに数名のガールズ達が挨拶に来らていましたので記憶は鮮明です。「母ちゃん」役の池津祥子氏も来られていました。
脇役の池津さんが挨拶をされた際に「かあちゃん」と大声で叫べば・・・館中がどっと湧いて応援になると一瞬思いました。しかし当時、座っていた席がステージから一番遠い最後列、かつ目が悪く池津さんと明確に自信が持てなかったこともあって躊躇してしまいました。「もし間違っていたら・・・」と廻りの目も気になり言えなかったことは後悔の念として今も残っています。気が小さかったのです。
しつこいですが本当に喉元まで出ていたのです。今日知ったことですが池津祥子氏は郡山出身の女優だということ。福島県出身と判っていたなら・・・「まして地元での晴れ舞台」・・・なおさら後悔しています。
舞台は昭和40年代のいわき市湯本、かつて炭鉱があった小さな町の物語。石炭から石油へとエネルギー革命が行われる中、各地で炭鉱の閉山が相次ぎます。その危機を救おうと会社が構想した「一大プロジェクト」。東北片田舎に「ハワイ」を作ると実話です。
関東以南ではなく東北に作るという構想。昭和40年当時、温泉が湧き出ていたとはいえ誰も考えはしないでしょう。
岸部一徳氏が演じた吉本部長の苦悩とはどの様なものっだたのでしょう。昭和の時代、東北の地で「フラダンス!?」当然、否定的な意見・反対も多かったことでしょう。
昨年(2014年)の年間入場者は150万7000人ということですのでこの構想は見事に成功したわけです。この施設内で働く人々及び取引関係者などの生まれた雇用は知りませんが、映画内で鉱山採掘最盛期4,000人ということですので会社としての目的(新事業展開)は果たせたのではないでしょうか。いやマクロ的にみれば福島県にとっても大きな間接的メリットを得ています。
その後3.11東日本大震災により建物が被災、全館休館となりますが再オープンに向けて50年振りにフラガールズ達の全国キャラバンが行われたようです。この「めぐり合わせ」に当時のフラガール関係者はどの様な思いを持っているのでしょうか?
しかし、9年前の映画では気付きませんでしたが女優達のダンスは本当に見事でした。どのくらい特訓をすればあの様に踊れるのでしょうか?
ラストシーンは大成功に終わり「めでたし!めでたし!おめでとう!」と心の中で拍手を送りましたが、あの完成されたフラダンスには「女優魂」を見せつけられたようで恐しさまで感じた次第です。